アメリカを代表する老舗イーストメーカーの『フライシュマン』。
1917年にはアメリカから帰国した杉本隆治氏によって、発酵速度が極めて早いフライシュマン・イーストが輸入されるようになり、日本でも安定した品質のパンが作られるようになるきっかけとなったメーカーです。
今回は、アメリカの老舗イーストメーカーである『フライシュマン』の歴史について紹介します。
フライシュマン(Fleischmann)とは
フライシュマンとは、アメリカの老舗イーストメーカーです。
現在はイギリスに本拠を置く砂糖や紅茶メーカー、Associated British Foods(ABF)傘下のAB Mauriによって運営されています。
AB Mauriのシェア率は、フランスのルサッフル、中国のエンジェルに次ぐ世界第3位。
2023年時点で約12%の市場シェアとなっています。アメリカでは特に高い知名度となっているのが特徴です。
フライシュマンズイースト(Fleischmann’s Yeast)とは
フライシュマンズイーストは、アメリカ市場での家庭用イーストの代表格とも言える存在。
初めて圧搾酵母を販売したことで、アメリカでは先駆的な存在として知られています。
発酵速度が極めて早く、安定した品質にも定評があります。
フライシュマンの歴史
アメリカを誇る老舗メーカーで、世界でも支持率の高いフライシュマン。
ここからは、フライシュマンの歴史について紹介していきます。
1868年 ガフ・フライシュマン・アンド・カンパニー創業
オーストリア出身のユダヤ系ハンガリー人であるチャールズ・フライシュマンは、弟のマクシミリアン、さらにアメリカ人実業家のジェームズ・G・ガフニーと共に、アメリカのオハイオ州シンシナティで『ガフ・フライシュマン・アンド・カンパニー』を設立します。
もともと、蒸留所兼酵母メーカーの家に生まれたチャールズ兄弟。
ガフ・フライシュマン・アンド・カンパニー創業の中心人物であるチャールズ・フライシュマンは、結婚後にオーストリアのウィーンで蒸留酒と酵母の生産をおこなっていました。
1865年にアメリカに渡ると、オハイオ州シンシナティで焼かれる地元のパンの品質に肩を落とします。
そこで、故郷で知るよりふっくらと膨らむパンが作りたいと、イーストメーカーを設立。
ガフ・フライシュマン・アンド・カンパニーは、初めて単一酵母を商業的に生産した製品を作って販売し、世界中で品質の安定したパンが作られるようになったのです。
このことは、アメリカの製パン業界に革命をもたらし、家庭からプロのパン屋まで幅広く支持されました。
1876年 フィラデルフィア万国博覧会で展示
万国博覧会(万博)は、1851年にイギリスのロンドンで開催したのが始まりで、各国の技術や文化を発信・共有し、世界中の人々の交流を目的としています。
フィラデルフィア万博は1876年にアメリカ独立100年を記念して開催され、エジソンの電信装置やベルの電話などが紹介されたことから、発明の万博とも呼ばれました。
アメリカの成長と進歩を宣伝する大きな規模の万博だったのです。
チャールズ・フライシュマンは世界初の商業用圧搾酵母を開発し、万博で展示することを決意。
万博では、フライシュマンのイーストを用いた家庭でのパンの焼き方を紹介し、多くの人にフライシュマンのイーストを知らしめたのです。
これまでは酵母と言ったら職人が手作りするものだったのですが、工業的に安定供給できるようになり、製パンの品質と効率が大幅に上がったのです。
1881年 フライシュマン・アンド・カンパニーに改名
1881年に、フライシュマンの共同創業者であったジェームズ・G・ガフニーが死去。
経営の中心がフライシュマン兄弟に移ったことから、名称をフライシュマン・アンド・カンパニーに改名しました。
1900年 研究所を設立
当時のアメリカ社会では、食文化の変化や企業による研究開発の重要性が高まっている時代背景がありました。
家庭でもパン作りが普及し始め、酵母の品質向上とこれまで職人の手仕事に依存していた製パン技術を科学的に裏付け探求してくことが求められていました。
研究所設立にあたり製パン技術を科学化することで、パン作りを標準化し食品業界を牽引する存在を目指したのです。
1905年 フライシュマン・カンパニーに改名
フライシュマン・アンド・カンパニーからよりシンプルなフライシュマン・カンパニーへと改名しました。
この時期の社名変更の明確な理由については、残念ながら調べても分かりませんでした。
しかし、マーケティングに非常に力を注いでいたチャールズ・フライシュマン。
名称の簡素化は、一般向け製品のメーカーとしては覚えやすく認知度を上げる一つの要因となったと考えられます。
19世紀後半から20世紀初頭 アメリカ全土に広がる
1880年代以降には、アメリカの鉄道網が全国に広がり、さらには冷蔵技術の進歩もあって長距離の輸送が可能となりました。
酵母を遠くまで運べるようになったことで、市場を拡大していったのです。
また、フライシュマンは広告やブランド戦略にも力を入れており、20世紀初頭には新聞や雑誌広告を積極的に展開していました。
広告で酵母は健康に良いとのイメージを打ち付け、人々の関心を集めます。
フライシュマン酵母はアメリカ全土に広がり、アメリカを代表するイーストメーカーとなりました。1920年代後半には、アメリカ市場の93%以上を支配していたと言われています。
第一次世界大戦(1918年)以降 イースト以外の製品も提供開始
第一次世界大戦以降は、イースト以外にマーガリンなどの食品も提供を開始します。
第一次世界大戦後のアメリカは、栄養不足や健康への関心が高まっていました。
マーガリンのほか、酵母に含まれるビタミンB1などに着目し、酵母を使った健康補助食品のYeast Tabletsなどを開発したのです。
1930年代 ドライイーストを販売
これまで生イーストの販売を行っていたフライシュマンでしたが、1930年代に入ると乾燥酵母であるドライイーストの販売も開始します。
ドライイーストとは生イーストを乾燥させて粒状にしたもの。これまで販売していた圧縮生イーストと比べ、保存期間が長く取り扱いが簡単であることで、より多くの一般消費者に支持されるようになりました。
ドライイーストの起源は?
ドライイーストの販売については、同時期にフランスのルサッフル社もおこなっていますが、実はこの時代から遡ること100年以上前の1822年には、ウィーンで初めて乾燥酵母の販売がおこなわれていたことがわかっています。
しかし、この乾燥酵母がフライシュマンやルサッフルのドライイーストと比べ、どの程度製パンに適していたものか、商品として十分なものだったのかは残念ながら調べてもわかりませんでした。
第二次世界大戦中(1939年~1945年) アメリカ軍にイーストを提供
第二次世界大戦中には、アメリカ軍にイーストを提供するようになりました。
このとき提供されたのはアクティブドライイーストというもので、常温で保存でき温水で迅速に活性化できる製品でした。
アメリカ軍が戦地でも気軽に出来立てのパンを食べられるようにと開発されたのです。
1984年 インスタントイーストを発売
これまでのアクティブドライイーストよりも最大50%速く発酵する「RapidRise®インスタントイースト」を発売しました。
インスタントドライイーストは、1973年にフランスのルサッフル社が世界で初めて開発・販売をしています。
そのため、後発となってしまったフライシュマンは、ルサッフルほどの浸透とはなりませんでした。
フライシュマンはベーカリー向けの市場戦略というよりは、一般消費者向けに健康志向をアピールした戦略で多角化による市場拡大を図ったのです。
1990年初頭 ブレッドマシンイーストの販売
1990年初頭には、ブレッドマシンイーストの販売を開始しました。
ブレッドマシンとは、家庭用のパン焼き機のこと。フライシュマンはブレッドマシンでのパン作りに適したイーストを開発し、家庭でのパン作りをより楽しめるようにしたのです。
20世紀後半 商業用の大規模酵母製品を製造
20世紀後半になると、パン業界での大量生産や効率化が求められていたことから、商業用の大規模酵母製品の製造を開始しました。
具体的には、大量生産に対応した大きいサイズに包装された商品の製造などです。
現代 世界的なブランド
1986年にフライシュマンはオーストラリアのBurns Philip社に買収され、さらに2004年にはAssociated British Foods(ABF)に売却されました。
現在はABF傘下のAB Mauriの一部として運営し、北米や南米、アジアなどにも進出したことで、国際的にさらなる拡大を続け、世界的なブランドとして認知されています。
まとめ
アメリカの老舗イーストメーカーである『フライシュマン』。フライシュマン兄弟が故郷で食べていたような品質のパンを、アメリカでも焼きたいと思ったことから創業に至りました。
一般家庭への普及やアメリカ軍へのイーストの提供など、製パンのプロに限らず市場のニーズに応えたマーケティングをおこなってきたのも特徴。世界中で支持されています。