日本のパンの歴史~世界から発酵パンの伝来・製パンの近代化~

URLをコピーする
URLをコピーしました!

パンは何百世代という長い時間に渡り、生きる糧として欠かせない食べ物でした。

その事実は米を主食としてきた日本でも然り。

ここでは、独自の進化を遂げてきた日本のパンの歴史について解説していきたいと思います。

目次

パンの語源

日本のパンという単語は、ポルトガル語の「Pâo(パオ)」からきています。

Pâo はラテン語のPanis(パーニス)が語源となっているのです。

ポルトガル商船が日本に漂着し、南蛮人が渡来したことにより伝わったと言われ、パンのほかに当時伝わった言葉で今でも残っている食べ物としては、コンペイトウ、カスティラ、アリヘイトウ、ビスコウトなどがあげられます。

日本では一般的にパンと呼ばれますが、それを指す言葉は世界で三つに大別されます。

ラテン系由来

ラテン系のPanisが語源となっているパンを表す単語は、Pâoのほかに、Pan、Pain、Pane、Pineがあります。

ゲルマン系由来

ゲルマン系ではBrot(ブロート)が語源となっているBroot、Bröd、Brød、Breadなどが使われています。

スラブ系由来

スラブ系ではChleb(フレプ)が語源となり、Chlêb、helbが誕生しました。

発酵パンが日本に伝来

発酵パンが日本に伝来したのは1543年。

ポルトガルの貿易船で鉄砲とともに渡ってきました。

発酵パンはキリスト教宣教師によって日本に普及します。

なかでも南蛮貿易で栄えた長崎で特に広まっていきました。

発酵パン伝来前の日本のパン

発酵パンが伝来する前の日本のパンとはどういったものがあったのでしょうか?

弥生時代

弥生時代には中国から小麦が伝わり、日本でも小麦の栽培が始まります。

しかしこの頃の日本では、麦は粒のまま炒って食べたり、お粥にして食べたり、つぶして焼いて食べたりしていました。

弥生時代の日本で食べられていたパンとは、無発酵パンに値するもので、おおよそ今のパンと呼べるようなものではありません。

その頃、世界では製パン技術が確立しつつあり、ヨーロッパ全土で広がっていくのです。

鎌倉時代(1200年代)

鎌倉時代になると、発酵生地を蒸したパンである「マントウ」が中国から伝来しました。

マントウは中身のない肉まんのようなもので、中国語で「饅頭」と書きます。

マントウは日本のまんじゅうのルーツとなったものともされています。

一方、中に具や餡のある包子(パオズ)と呼ばれるものも同時に伝来し、これは日本で肉まんのルーツとなったものとされています。

発酵パン伝来後の日本のパン

発酵パン伝来後の日本では、海外からの製パン技術が取り込まれつつ、独自の進化を遂げるようになります。

ここからは、日本のパンがどのように発展していったのか見ていきたいと思います。

室町時代

発酵パンが日本に伝来したのが室町時代です。

しかし、小麦粉は米よりも値段が高く、製パンの技術は日本になかなか普及しませんでした。

ポルトガル船とともに伝来

1543年、ポルトガル商船が日本に漂着し、鉄砲とともに発酵生地を焼いたパンが伝来します。

同時にさまざまなものが日本に伝わり、ビスケットやカステラ、コンペイトウなど、南蛮人から小麦粉や砂糖を使った菓子が伝わり、その多くが現在でも残っています。

長崎で製パンが盛んになっていくものの、日本にパン食が根付くことはありませんでした

江戸時代

この時代は鎖国やキリシタン禁止令により、製パン技術は発展しませんでした。

そのため、パン作りは長崎でのみ細々と続けられていました。

さらに長崎では、南蛮人の航海用の保存食としてビスケットの製造がおこなわれていました。

米を食べていた日本では主食としてのパンは発展せず、お菓子としてのパンが広がっていくのです。

兵糧用パンの誕生

1842年4月12日。アヘン戦争に備え、兵糧用パンが開発されます。

火をおこす必要がなく、保存性と携帯性にも優れ消化も良いことから、国を挙げて生産されました。

中心にドーナツのように穴をあけ、紐を通し腰にぶら下げて持ち運んでいたと言われています。

この兵糧用パンは、伊豆の韮山で、代官・江戸川太郎左衛門担庵によって初めて作られたのです。

推進者である江戸川担案庵は、「パン祖」として崇められ、初めて作った4月12に因んで、毎月12日はパンの日となりました。

この頃のパンは水分の少ない硬いパンで、乾パンのようなものだったのです。

食パン発祥の店オープン

1864年に日本での食パン発祥の店ヨコハマベーカリーが誕生します。

ロバートクラーク氏が、日本に住むイギリス人のために開業し、ヨコハマベーカリーはのちの有名店「ウチキパン」となります。

明治時代

明治初期。文明開化により肉食が解禁となり、食生活が洋風化するなど庶民にも少しずつパンが浸透し始めます。

日本のパン文化のきっかけとなった「あんパン」の誕生

木村屋総本店が、パンに馴染みのない日本人に食べやすいように酒種で作ったあんパンを開発しました。

このあんパンは、明治天皇に献上されたことでも知られています。

あんパンやジャムパンなど日本ならではの菓子パンが作られるようになり、明治天皇からも称賛され、木村屋総本店は皇室御用達の店となるのです。

クリームパンの誕生は「新宿中村屋」

新宿中村屋の創業者夫妻はシュークリームの味に感動して、クリームを詰めたパンを作れないかと考え、1904年にクリームパンを誕生させました。

クリームパンはあんパンやジャムパンと並ぶ、日本の3大菓子パンとなったのです。

圧搾酵母が輸入される

1908年、ヨーロッパから圧搾酵母が輸入されるようになり、この頃から日本でも酵母の研究が少しずつ始まりました。

しかし当時は冷蔵技術が発展しておらず、日本ではなかなか品質が安定しませんでした。

大正時代

イーストの開発と輸入により、自家製パン種を使った製パンからイーストを使った製パンが主流となり、安定した品質を保てるようになりました。

また、第一次世界大戦でイーストが工業化し、このとき捕虜となっていたドイツ人やロシア人から製パン技術が伝わり、日本の製パンは近代化していくのです。

乾燥酵母(マジックイースト)の開発

1915年、丸十ベーカリーの田辺玄平氏はアメリカで学んだ技術を生かし、研究の末、乾燥酵母を開発しました。

この製パン技術を学ぼうと、全国からパン職人が田辺氏のもとへ集まりました。

フライシュマン・イーストが輸入される

杉本隆治氏によってアメリカからフライシュマン・イーストが輸入されるようになりました。

フライシュマン・イーストは発酵速度が極めて早く、そのおかげで日本でも安定した品質のパンが作られるようになったのです。

昭和時代

昭和初期には国産のイーストが作られるようになり、ミキサーの導入などもあり製パン技術の安定と量産が可能になります。

しかし1941年、太平洋戦争が勃発。

戦後間もないころの日本は、食糧難のためお米の代わりにアメリカからの支援物資である小麦粉を使ったパンを食べていましたが、きれいに精製された質の良い小麦粉はなかなか手に入らず、かさ増しのためにかぼちゃふすまどんぐり粉を混ぜてパンを作っていました。

この頃になるとイーストは手に入らず、パンを膨らますために重曹が使われていたのです。

1950年代

1950年代には、パンが日本人に深く定着するようになり、海外からも新しい技術が伝わり始めます。

給食でコッペパンが出される

アメリカ産輸入小麦が日本へ引き渡され、パン、脱脂粉乳、副菜の完全給食が始まります。

給食のパンはコッペパンが主で、お米を十分な量を確保することが困難だった時代に、栄養価の高いコッペパンは重要な役割を持っていました。

「ロバのパン」が全国に広がる

1953年、蒸しパンチェーン店、「ロバのパン」が全国に広がります。

ロバのパンはもともと戦前にロバをひいてパンを売っていたのが始まりです。

それがポニーへと変わり蒸しパンチェーン店として再始動。

全国でロバのパンが広がりました。

レイモン・カルヴェル氏が来日

1954年、フランス国立製粉学校教授のレイモン・カルヴェル氏が来日し、バゲットの講習会が全国17か所で開かれました。

レイモン・カルヴェル氏の講習に参加した「ドンク」の藤井幸男氏は彼の技術にとても感動し、フランスパン作りに精を出します。

レイモン・カルヴェル氏は、日本でバゲットの神様と呼ばれるようになるのです。

1960年代

1964年の東京オリンピック以降、高度経済成長が進み、街にはバラエティー豊かなパンが出始めます。

第一次フランスパンブーム

1966年、神戸ではすでに人気を博していたドンクが、東京にドンク青山店をオープンしました。

バゲットの神様、レイモン・カルヴェル氏の弟子であるフィリップ・ビゴ氏の着任と、オープンキッチンスタイルが功を奏し、青山店は一躍人気店となりフランスパンブームを巻き起こします。

この時着任したフィリップ・ビゴ氏は、のちに芦屋で「ビゴの店」を創業することとなります。

学校給食に揚げパンが登場

学校給食にコッペパンを揚げて砂糖をまぶした「揚げパン」が登場し、子どもたちに人気を博しました。

揚げパンは現在でも給食に登場し、専門店ができるなど今でも根強い人気となっています。

1970年代

1970年代は海外のパンを取り入れたチェーン店が次々にオープンし、牛乳やバターをふんだんに使ったリッチなパンが人気となります。

デニッシュペストリーブーム

アンデルセンの創業者がデンマークで食べたデニッシュペストリーの味に感動し、研究の末、1962年に日本で販売を始めます。

1970年には「青山アンデルセン」をオープン。

デニッシュペストリーは話題となりブームを巻き起こしました。

海外の人気ファストフード店が次々とオープン

1971年4月、大阪府箕面市にアメリカ発祥のドーナツブランドであるミスタードーナツがオープンします。

さらに7月20日にはマクドナルド1号店が東京銀座にオープン。

片手で食べられるハンバーガーは手ごろで若者に人気があり、日本でハンバーガーブームが起こりました。

家庭用のオーブンが普及する

1977年、今まで別々の商品として販売されていた電子レンジと電子オーブンが一体化したオーブンレンジの誕生により、一般家庭にオーブンが普及していきます。

フレンチトーストブーム

1979年に上映された映画『クレイマー、クレイマー』のヒットで、作中欠かせない重要なシーンとなるフレンチトーストを作る場面が影響し、フレンチトーストがブームとなりました。

1980年代

バブル期到来の日本。山崎製パンをはじめ、多くの大手パンメーカーが海外進出を始めます。

この頃、冷凍パン生地技術も発展し、日本のパンメーカーは大きく成長していきます。

タカキベーカリーからは全粒紛を使ったパンが販売されるなどし、パンの原料にもバリエーションが出てきました。

1990年代

バブル崩壊によるデフレ発生。この時代のパンは各メーカーが試行錯誤しブームを起こします。

「ドンク」のミニクロワッサンが大ヒット

1994年、「ドンク」のミニクロワッサンが大ヒットします。

なんとこのミニクロワッサン、最初はパンを成形したときに余る切れ端から誕生したのだとか。

当時は珍しい量り売りのパンと、甘くて小さいおやつ感覚のパンは人気となりました。

本場ベルギーワッフルが日本に定着

ベルギーワッフルブームにより、本場ベルギースタイルのワッフルが日本に定着します。

それまで日本にワッフルと呼ばれるものは存在していましたが、ベーキングパウダーでふわふわに膨らませて作ったオムレットのようなものでした。

表面が硬くカリッとしたワッフルは一躍ブームとなりました。

2000年代

2000年代に入ってからの日本のパン業界には、さらなるブームがやってきます。

メロンパンブーム

2005年ごろには移動販売車のメロンパンが大ブーム。

冷凍生地を焼くだけのメロンパンで、フランチャイズとして製パン技術のない初心者でも個人でお店を持つことが可能になったのです。

10年後となる2015年ごろには、店舗型となるメロンパン専門店が多く開業し、メロンパンは再ブームとなっていきます。

フランスパンブーム

「メゾンカイザー」、「POUL」の影響で第二次フランスパンブームが到来します。

メゾンカイザーはフランスの名店として名高い「エリックカイザー」に従事していた木村周一郎氏が、エリックカイザーに認められ日本にエリックカイザージャポンとして創業した店。

実はこの木村周一郎氏は、日本にあんパンを広めた木村屋総本店の子息なのです。

あえて日本人向けの味にはせず、本場そのままの味で構えたメゾンカイザーとPOULは、日本の消費者に刺激を与え、2回目となるフランスパンブームを起こすのです。

塩パンブーム

愛媛県八幡浜市に小さな店を構える「パン・メゾン」。

夏に売れないパンを売るため、塩分補給も兼ねて塩パンを開発します。

小さい店でありながら、ここで売られている塩パンが5,000~6,000個も売れる大ヒット商品となったのです。

さらにパン・メゾンの塩パンは商標登録することはせず、多くのパン屋が塩パンを作るようになり、全国に塩パンが広まることになります。

高級食パンブーム

2013年、「乃が美」の生食パンが注目されます。

「生」食パンと表現されている食パンは、耳まで軟らかく、老若男女問わず人気の商品となります。

「乃が美」が火付け役となり全国各地に高級食パンの専門店が誕生し、一本1000円近くする店も少なくないなか、高級食パンはブームとなっていくのです。

まとめ

さて、今回は日本のパンの歴史について解説してきました。

日本に発酵パンが伝来してまだ600年あまり。世界のパンの歴史からみると、短く感じることでしょう。

しかし、そんななか日本人は菓子パンなど独自のパンを開発し、発展させてきました。

現代でも製パン業界は常に進化を求め、日本のパン文化は発展し続けています。

よかったらシェアしてね!
URLをコピーする
URLをコピーしました!
目次
閉じる