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神授(しんじゅ)欲(ほっ)して骨(ほね)も残(のこ)らぬの解説
意味
「神授欲して骨も残らぬ」とは、冒険者がダンジョンを踏破することで神から授かるとされるドロップスキルを欲して挑むものの、その過程で命を落とし死体すらダンジョンに吸収されて痕跡が残らないという現実を指す諺である。
名誉や名声を求めるあまりダンジョンに挑む無謀な若者たちは、大多数が道半ばでダンジョンに倒れ、遺体はダンジョンが吸収してしまうため骨も残らない、という戒めの言葉である。
転じて、無謀な行いによって夢半ばで命を落とすことを指して使われるようになった。
用例
- 「神授欲して骨も残らぬ。それが迷宮というものだ。久々に見込みのある新人が来たと思ったのだがな」
- 「若人よ、勇気と蛮勇を履き違えるでない。ここは迷宮。神授欲して骨も残らぬ、そういう場所ぞ」
- 「その作戦はあまりにも無謀だ。神授欲して骨も残らぬというだろうに」
語源
この諺の由来は、ドロップスキルを得るために多くの冒険者がダンジョン踏破に命を賭して挑んだ逸話にある。
ダンジョンでは、モンスターや冒険者を問わず、どの死体もダンジョンに吸収されて痕跡すら残らずに消え去るという特性がある。
ダンジョンに吸収された場合、魂がどこへ行くのかは謎に包まれており、もしかすると、ダンジョンによって魂が消費されているのかもしれないし、ダンジョンに生まれるモンスターは冒険者の魂を作り変えているのかもしれない。
ダンジョンで死ぬということは、そのような恐怖と不気味さが拭えない死に様である。
名声や名誉のためであったり、敬虔な信徒が故であったり、ドロップスキルを求める者の動機は様々であるが、あまりにも若者が無謀な挑戦をすることが多い。
その様子から若者の無謀さを揶揄することもあれば、親心としての無常さを現わすこともあり、結果として「神授欲して骨も残らぬ」という諺が生まれた。
類語
- 「道半ばで倒れる」
- 「志半ばで倒れる」
- 「夢半ばで倒れる」
注意
この諺・慣用句は創作であり、実際には存在しません。
人名や地名、物の名称なども架空のものを作っています。(もし、命名が既存の作品と被っていたら申し訳ありません)
異世界系のWEB小説を執筆されている方が、架空の諺や慣用句を作る際の参考にしていただければ幸いです。