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大聖(たいせい)も神書(しんしょ)を落(お)とすの解説
意味
どれほどの高位の聖職者や学識者であっても、時には過ちを犯すことがあるという意味の諺。
大聖とは、徳の高い聖職者を指し、民衆の信仰の拠り所となる存在である。
しかし、そんな大聖であっても、時には手にしている神書を落とすことがあるように、誤りを犯さぬ者はいないという戒めの言葉として用いられる。
転じて、どれほど熟練した者でも失敗は避けられないことを指し、時には慰めや励ましの意味で使われることもある。
用例
- 「君も失敗するのだな。なに、気を落とすな。大聖も神書を落とすのだ」
- 「一流の剣士でも時に足を滑らせるものだ。大聖も神書を落とす、失敗を恐れるな」
- 「試験で間違えた? お前が完璧じゃない証拠だよ。ほら、大聖も神書を落とすって言うだろ?」
語源
この言葉は、かつての偉大な聖職者が神々の教えを説いている最中、うっかりと手から神書を落としたという逸話に由来する。
神の言葉を司る立場の者でさえ、時には誤ることがあるのだから、誰しも完璧ではありえないという教訓として、この言葉が広く用いられるようになった。
また、学識者や聖職者に限らず、どんな名人でも失敗することを示すため、一般的にも使われるようになった。
類語
- 「弘法も筆の誤り」
- 「釈迦も経の読み違い」
- 「猿も木から落ちる」
- 「河童の川流れ」
- 「天狗の飛び損ない」
注意
この諺・慣用句は創作であり、実際には存在しません。
人名や地名、物の名称なども架空のものを作っています。(もし、命名が既存の作品と被っていたら申し訳ありません)
異世界系のWEB小説を執筆されている方が、架空の諺や慣用句を作る際の参考にしていただければ幸いです。