第十七話 家畜の背後世界|看板娘はかく語りき

 アテロスさんが怪訝な顔でこちらを見ている。

「おっと」

 私は慌てて眉間から指を離した。気恥ずかしかったので、つい早口で喋ってしまう。

「えっと。アテロスさんは同期の人と比べて技術不足って話だったよね?」

「ああ。さっき言った通りだよ。……他人から言われると堪えるな」

 アテロスさんは引きつった笑みを浮かべた。

「技術が追いつかないと、どうなるの?」

 私は首を傾げて訊ねた。

「それは、最高峰の職人になれないってことだよ」

「そうなの? 周りの人よりもゆっくりと最高峰の職人になるんじゃないの?」

「いや、俺には才能がないって意味さ。他の奴が出来る事が俺には出来ないんだから……」

 アテロスさんは執拗に質問が繰り返されることに戸惑っている様子だ。

「そうなの? シェタさんぐらいの年齢で最高峰になることもあるんじゃないの?」

「いや、それはそうかもしれないけど……。それじゃあ遅すぎるよ」

 アテロスさんは呆れた調子で言った。

 私は構わず続ける。

「そうなの? 何歳までに最高峰にならないといけないの?」

「そりゃあ……」

 アテロスさんは、暫く考え込んだ。答えが出てこないのか、溜息を小さく吐いた。

 私は構わず質問を重ねる。

「じゃあ質問を変えるね。アテロスさんが最高峰にならないといけないって、誰が決めたの?」

「……誰って」

 アテロスさんは何か言いたそうに口を開くが、言葉が続かない。そして、シェタさんの方をちらりと見る。

 シェタさんは視線に気づくと、乾杯するようにコップをひょいと上げて、アテロスさんを促した。どうやら助け舟を出すつもりはなさそうだ。

 アテロスさんは深く息を吐いてから、続けた。

「職人なんだから、技術がなきゃ話にならないだろ? 当たり前のことさ」

「当たり前? ……そうかも。当たり前なのかも」

 私は腕を組んで、うんうんと頷いて肯定してみせた。

 アテロスさんは少し安心したようだった。

 だけど、私は質問を続ける。

「でも、その当たり前って誰にとっての当たり前? だって、私にとっては当たり前じゃないんだもん。職人の世界では全員がそう思ってるの?」

「いや、全員……ではないな。程々に仕事を熟す人だっているよ」

 アテロスさんは誰かを思い出すように斜め上を見上げる姿勢で答えた。

「じゃあ、アテロスさんがそう思ってるだけ? それとも、誰かに言われたとか? 家族や友人、仕事仲間とか。……もしかして、シェタさんがそう言ってるの?」

 私は、如何にも疑っています、という目つきでシェタさんを凝視した。

 アテロスさんが手を振って慌てて否定する。

「いやいや! 親方はそんなことは言ってないよ!」

 シェタさんも驚いたように首を横に振る。

 それが面白くて、私は思わず笑ってしまう。それを見た二人も一緒になって笑う。

 一頻り笑うと、アテロスさんが静かに口を開いた。

「……強いて言うなら、親が言ってたかな」

 しばらくの沈黙の後、私は優しい声色で問いかける。

「ねぇ、アテロスさん。もう一つだけ聞いてもいい?」

 アテロスさんは黙って首肯した。

「もし、最高峰の職人になれなかったとして、それって悪いことなの?」

 沈黙が続いた。窓の外から聞こえる街の喧騒が良く聞こえる。

「……でも。職人なら、技術がなきゃ……」

 アテロスさんは絞り出すような声で言った。

「うん。技術を磨くのは必要なことだよね」

「あ、あぁ。そうだろ?」

「でも、技術がまだ足りないからって、自分を駄目な奴だって思っちゃうのは……なんでなの?」

 アテロスさんは答えず、沈黙が続く。その表情は、徐々に険しくなっていく。

 私はまた無遠慮になっている自分を恥じた。

「ごめんなさい。意地悪を言いたいわけじゃなかったんだけど……」

「いや、俺が大人気ないだけさ」

 アテロスさんは、私に気を遣って苦笑いをした。

 気まずい空気が漂う。

 私は雰囲気を変えるために、明るく声を張った。

「じゃあ、背後世界の話に戻ろう!」

 私は柏手を打つように、両手でぱんっと音を鳴らした。

 アテロスさんは「あぁ、そうだった」と何の話だったかを思い出したようだった。

「シェタさんから、背後世界の話は聞いてるんだよね?」

 私はアテロスさんとシェタさんの顔を交互に見た。

 アテロスさんは頷いて、説明する。

「見たり触れたりできないモノのことを背後世界と言っていて、仕事のやりがいも見たり触れたりできないから背後世界だって話だろ?」

「そうそう。それそれ」

 私はうんうんと大げさに頷く。

「アテロスさんは、背後世界の説明を聞いてどう思った?」

「仕事に限らず、何かに熱中しててもそのうち冷めちゃうって話だろ? まぁそうだろうなって思ったぐらいだな」

「なるほど。私がシェタさんに説明した通りだね」

 私はシェタさんの方をちらりと見る。シェタさんはゆっくりと頷く。

 私は背後世界の説明を始める。

「見たり触れたりできないといえば、アテロスさんが言っていた『当たり前』も背後世界と言えるよね?」

「うーん? そうなるのか?」

 アテロスさんは腕を組みながら、斜め上を見上げながら自問するように呟く。

「うん。皆が『これが当たり前だ』、『こうするのが普通だ』と思っていることが、実は背後世界なの」

「……なるほどな。『職人なら技術を磨くのが当たり前』とか『最高峰の職人を目指すのが当たり前』って考えは背後世界ってことか」

「そう! そういうこと!」

 私は親指と人差し指で輪っかを作って、明るく振る舞う。

 だけどアテロスさんは難しい顔をしたまま、口を開く。

「……うん。背後世界に分類されるってことは分かったよ」

 アテロスさんは言い辛そうに続ける。

「背後世界は絶対的じゃないから気にし過ぎるなってことも親方から聞いてる。でも、そう言われたところで『気にしなくていいんだ!』とは思えないんだ」

「うん。『簡単に言ってくれるぜ!』って感じだよね」

 私は英雄譚の英雄の真似をして格好いい姿勢を取りながら言った。

 アテロスさんとシェタさんは、微笑ましいものを見たとばかりに口元を緩めている。

 そんな二人を気にせず、私は話を続ける。

「じゃあ、養豚場や養鶏場の家畜で例えてみよう」

 私は居住まいを正しながら続けた。

「家畜小屋の背後世界を考えてみると、『動けないぐらい太っていることが善い』、『鳴かずに大人しいことが善い』てことが思い浮かぶよね?」

「ああ。そうだな」

「この背後世界は、誰が考えたと思う?」

「そりゃあ、家畜を飼ってる人だろう」

「そう。『こういう家畜が善い家畜だ』と人間の都合で決めただけ。でもそれって、鶏や豚には本来関係のない話だよね?」

「そりゃあ、そうだろうな」

 アテロスさんは話が見えない様子だけど、辛抱強く私の話を聞いてくれている。

「もし、家畜が本気で信じちゃってたら、どう?」

 私は首を傾げながらアテロスさんの目を見つめて、少し間を置いた。

「『いくら食べても太れない自分はダメな奴だ!』って。鶏や豚が思い悩んで、気に病むぐらいに思い詰めてたら?」

 アテロスさんはしばらく黙って考え込む。

「……滑稽だな」

 アテロスさんが鼻で笑いながら言った。どうやら話が見えてきたようだ。

「でしょ? これは人間に置き換えても同じ。人間にとっても背後世界は本来関係がなくって、気に病む程に信じ込むものではないの」

「……俺の悩みなんて、ソフィアちゃんからすれば家畜が悩むのと同じぐらい滑稽ってことか」

 アテロスさんは卑屈な笑みを浮かべた。

 私は腕を組んで、うーん、と唸りながら考える。

「『今まで一生懸命頑張ってたことは無意味だ!』って逆に思い詰めないで欲しいの」

 アテロスさんは黙って聞いている。

「背後世界は『社会通念上善いとされていること』と考えてみて? アテロスさんは『職人とはこうあるべきだ』って価値観を親から教えられてたでしょ? そういった自分じゃない誰かの価値観が背後世界」

 私はシェタさんをちらりと見て、続ける。

「例えば、お年寄りに親切をするのは社会通念上善いこととされているから、これも背後世界だよね?」

 私はアテロスさんとシェタさん二人を交互に見ながら確認する。

 二人は、うんうん、と頷いている。

「今、お年寄りに親切にすることが背後世界だと分かったけど、『今までお年寄りに親切にしたことは無意味だった!』とは思わないでしょ?」

 私が大げさな演技で嘆いて見せると、アテロスさんは笑いながら同意する。

「そうだな。そんなこと思いもしないよ」

「でしょ? だから『背後世界ってあるよねぇ』ぐらいの感覚でいいんだよ」

 アテロスさんは暫く無言で考え込み、そして口を開いた。

「改めて俺の悩みを考えてみると『親が喜ぶならやっておくか』ってぐらいの気持ちかもしれない」

「うん、いいね!」

 私は元気よく肯定して、続ける。

「要するに『人間自身を大切にしよう』ってことなんだよね。誰かの価値観を信じ込んで思い詰めて不幸になるぐらいなら『背後世界だしな。本来の自分とは関係ないや』と思えばいいってこと」

「自分を大切にする、か。言葉にすると簡単なことなのに、やっぱり親の期待に応えたい気持ちはあるんだよなぁ」

 アテロスさんは割り切れないといった様子で、窓の外を見つめた。