お昼の書き入れ時。『木陰亭』は、いつも通りの賑わいを見せていた。
冒険者や職人たちが食事をしながら交わす声がガヤガヤと騒々しい。
私はいつも通り、厨房前のカウンター席に腰掛けて、
お母さんは忙しなく働いているし、お父さんも調理で手一杯だ。
入口から、見知った顔が入ってくるのが見えた。
「シェタさん!」
私が名前を呼ぶと、シェタさんは少し面食らった顔をしたが、声の主が私だと分かると鷹揚に手を振り返してくれた。
シェタさんの後ろから、もう一人の人影が付いてきた。
シェタさんより小柄な、線の細い少年。年の頃は十五ぐらいだろうか。どことなく居心地の悪そうな顔をしている。
シェタさんと話をした日から幾日か後、シェタさんは本当に大勢の弟子を引き連れて来てくれていた。
確か、その時にもこの少年は居たような気がする。何分大勢だったから、流石に自信はないけれど。
シェタさんは迷うことなく窓際のいつもの席へ向かった。少年もそれに続く。
お母さんがお水を持って二人のテーブルに向かう。
「いらっしゃいませ。毎度ありがとうございます」
「えぇ。私はいつもので。それから――」
シェタさんは少年に顔向けて続ける。
「――お前も好きなものを頼みなさい。私の奢りだ」
シェタさんがそう言うと、少年はぱっと顔を上げた。
「ありがとうございます! 親方!」
「好きなだけ頼むといい。なにせ、今日はお前一人だからな」
シェタさんは微笑みながらそう言った。
「えーっと、えーっと……」
少年は店内をきょろきょろと見回して、お品書きの木札を舐めるように確認する。
シェタさんは少年を急かすことなく見守っている。孫を見るような優しい目だ。
少年は、あれもこれもと注文し、お母さんは厨房のお父さんに伝えに行く。
程なくして料理が運ばれてくる。
少年は一口食べるなり、ぱあっと顔を綻ばせた。
「うん! 美味しい!」
「ふふっ。ありがとうございます」
お母さんが柔和な表情で応じた。
少年は食事に夢中で、お店に入ってきた時の暗い表情が嘘のようだ。
シェタさんは食事をしながら少年が夢中で頬張る姿を眺めている。
二人の間に会話はない。けれども、少年は食事に夢中で意に介していないし、その様子を楽し気に眺めるシェタさんもまた、幸せそうだ。
お祖父ちゃん曰く『大人は若者に鱈腹食べさせてやりたいもの』らしい。
これが、二人にとっての楽しい食事なのだろう。
やがて、少年は最後のひと欠片まで綺麗に食べ切って一息つく。二人とも食事を終えたらしい。
「親方、ご馳走様です」
少年はお腹をさすりながら、一歩も動けない様子で言った。
シェタさんはその姿を見て、ハハハと声を出して笑った。
「そんななりでは直ぐに動くと体に毒だろう。少しゆっくりさせてもらおうか」
シェタさんはお母さんに目配せする。
店内は書き入れ時の忙しさを過ぎているため、お母さんは二人に気配りするだけの余裕があった。
お母さんはシェタさんの意図を察して飲み物を両手に二人の席へと向かう。
シェタさんには当然の如く上品に水で割った葡萄酒を、少年には大人用よりもずっとずっと水で薄めた葡萄酒だ。
お母さんが二人に葡萄酒を渡すと、シェタさんが声を掛けた。
「ありがとうございます。今日も相変わらずの盛況具合で」
「ええ。おかげさまで。シェタさんがお弟子さんを連れてきてくださるから」
シェタさんは暫くお母さんと世間話をしていたけれど、ふと私の方に目を向けた。そして直ぐにお母さんに視線を戻して言う。
「お忙しいところ恐縮なのですが、お嬢さんがお手隙になるのはいつ頃でしょうか」
「あら、ソフィアですか?」
お母さんは店内を見回してから答える。
「他のお客さんが皆さんお帰りになった後でしたら。……なにか急ぎの用でも?」
お母さんは困ったように眉を寄せた。
シェタさんは慌てて補足する。
「いやいや、大したことでは。お店の邪魔をするつもりはありませんので、待たせていただきます」
「そうですか?」
お母さんはなんだか釈然としない様子で、二人の席を離れた。
二人は葡萄酒でちびちびと唇を潤しながら、仕事の話をしているようだ。
やがて、最後のお客さんが帰っていった。
店内に残っているのは、シェタさんと少年の二人。
「ん!」
私はカウンター席から降ろしてもらうべく、万歳の姿勢で以てお母さんに訴えかける。
お母さんはいつも通り私の脇の下に手を入れて、よいしょ、と床に降ろしてくれた。
私は駆け足でシェタさん達の席に向かった。
私の背後からお母さんの「こら! 走らない!」という声が聞こえる。
シェタさんと少年の間の椅子が丁度良く空いている。テーブル席の椅子はカウンター席の椅子と違って背が高くないので、よいしょ、とよじ登った。
「お邪魔します。えっと、私になにかお話が?」
私はそう言いながら、座りが良い位置を探してもぞもぞとお尻を動かし、居住まいを正す。
少年は不思議そうに首を傾げながら、私とシェタさんを交互に見た。
「親方、さっきは話を逸らされましたが、いい加減教えてくださいよ。なんでソフィアちゃんを呼んだんですか?」
シェタさんは意味深な笑みを浮かべてから、口を開いた。
「まずは紹介しよう。お嬢さん、こちらはアテロス。私の弟子です」
私は慌てて少年――もとい、アテロスさんに頭を下げて挨拶する。
「あ、えっと。ソフィアです。よろしくお願いします」
「あ、はい。アテロスです。こちらこそ」
私とアテロスさんは困惑した顔で挨拶を交わした。
それをみてシェタさんが楽しそうに笑っている。
「アテロス。私は今日、お前の相談に乗ると言ったな? その相談相手が、何を隠そうこちらのお嬢さんだ」
シェタさんは開いた手のひらで私を示した。
「……はい?」
アテロスさんは、ぽかんと口を開けて固まった。私とシェタさんの顔を交互に見る。
「だから、こちらのソフィアお嬢さんだよ」
「……またまた! もう、親方ったら。冗談ばっかり!」
アテロスさんは面白い冗談を聞いたとばかりに笑った。しかし、シェタさんが変わらない微笑みを返し続けるので、次第に笑顔が引き攣っていく。
「親方……」
「まぁまぁ、騙されたと思って」
アテロスさんはそれ以上反論することを止めた。納得していない様子だけれども、シェタさんの言うことには逆らえないのだろう。
シェタさんは私に向き直り、表情を少しだけ改めた。
「お嬢さん。此奴の話を聞いてやってください」
「もちろん!」
私は元気よく頷く。ここでお客さんの話を聞かないなんて、お祖父ちゃんだったら有り得ないことだ。
シェタさんはちらりとアテロスさんを一瞥して語り始めた。
「最近どうも様子がおかしかったので話を聞いてみると、なにやら色々と思い詰めているようでしてね」
アテロスさんは居心地悪そうに目を逸らした。ばつが悪そうな顔をしている。
「ほら、前にお嬢さんから教えてもらった背後世界の話があったでしょう?」
「うん、異国の偉い人の話だね」
「あれを、私なりに噛み砕いて話してみたのですが――」
シェタさんは頭を掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「――伝わったかどうかは今一つ。それに、私が正しく理解できているかも怪しいものです」
「いや、親方の話が分からなかったわけじゃ……」
アテロスさんが口を挟んだが、シェタさんは手を振って遮った。
「お前を責めているんじゃない。お嬢さんの話を私の解釈で語ることで、本来の意味合いから逸れた内容になっているかもしれない。私がそれを懸念しているだけのことさ」
「親方がそう仰るなら……」
アテロスさんは観念したように呟いた。
私はアテロスさんの方に体を向けて、にっこりと笑ってみせた。
「ねぇ、アテロスさん。背後世界の話をする前に、まずはアテロスさんのお話を聞かせて?」
アテロスさんは恨みがましくシェタさんに視線を送ったが、シェタさんは微笑みながら静観している。
アテロスさんはがっくりと肩を落とし、溜め息をつく。
二人のやり取りは正に祖父と孫のそれだ。
私は亡くなったお祖父ちゃんを思い出して、なんだか懐かしい気持ちになった。
