巨大な片膝が地面に沈み込む。
巨体が姿勢を下げたことで、頭部が遥のいる高さに近づいてくる。
右腕がゆっくりと降りてきた。
指差していた人差し指が折り畳まれたかと思うと、今度は手が開かれる。
ナックルガードのついた指が一本一本開かれていき、ギアの噛み合わせる音がカチカチカチと正確なリズムで鳴り、各関節がロックされていく。
乗れと言わんばかりに、掌が地面に置かれた。
遥はその巨大な掌をぼうっと眺めていると、思わず口元が緩んだ。
「そんな……アニメじゃないんだから」
心臓がうるさい。ワクワクしている。
遥は一歩を踏み出した。自転車がその場に倒れる。スクールバッグが前籠から転がり出たが、気にしている余裕はなかった。
巨大な掌の縁に手をかけた。金属がひんやりしていて気持ち良い。
「……失礼しま~す」
遥は「本当に大丈夫かな」とチラチラとロボットの様子を伺いつつロボットの掌に登った。
ロボットは何も答えず、ゆっくりと掌を持ち上げた。
「うぉいっ!」
遥は掴まるところがないロボットの掌で、落ちないようにと身を伏せた。
周りの様子を伺う余裕もなく耐えていると、ロボットの掌が上昇を止めた。
遥が顔を上げると、 ロボットの胸部が目の前にあった。
遥はなんとか立ち上がり、周りに目を向ける。
「たっか~。あ、うちがあんなに小さい」
遥が親指と人差し指で自分の家を摘まむようにして呑気に景色を眺めていると、背後でガシャンと音がした。
振り返ってみると、ロボットの胸部装甲がスライドして開いていた。
内側から明るく白い光が漏れ出してくる。
「おぉ~、コックピットじゃん」
それから少し待ってみるが、ロボットは静止したまま何も起こらない。
「えぇっと、入っていいのかな?」
遥は独り言のように声をかけてみるが、変わらず返事はなかった。
「……お邪魔しま~す」
遥はおっかなびっくり足を踏み入れる。
「あれ?」
遥が周りを見回すと、コックピットらしい椅子や操縦桿はなく、ただ広い空間があるだけだった。
自分の部屋よりも大きいぐらいの空間で、歩き回れるくらいの余裕がある。
「コックピットじゃないの?」
遥が不思議に思い奥の方まで歩いていると、背後でガシャンという重い金属音がした。
驚いて振り返ると、搭乗口が閉じていた。分厚い装甲がスライドして、外の光を完全に遮断している。
「え!?」
遥は慌てて搭乗口だった場所に駆け寄り手を当てる。継ぎ目すら感じられないほど滑らかに閉じていた。
閉じ込められた、と思った瞬間、声が聞こえた。
【コックピットハッチ、閉鎖。気密確認完了】
若い女性の声だった。だが人間の声ではない。あまりにも滑らかで、抑揚が均一すぎる。テレビのアナウンサーが原稿を読み上げるような、それでいて人間味を削ぎ落としたような、そんな声だ。
声はコックピット内に響き渡っている。
遥は天井、壁、床、とスピーカーを探したが見つからない。壁全体から聞こえてくるような、不思議な音の出方だった。
【外気サンプルを採取。大気組成を分析】
「あの~」
声に出してみた。コックピットの壁に反響して、自分の声がやけに近く聞こえる。
【分析完了。主成分、窒素78パーセント、酸素21パーセント、その他微量元素】
「もしも~し」
【気圧、気温、湿度を計測、現地大気との同調を開始】
返事はなかった。こちらの呼びかけとは無関係に声は淡々と続けている。
【コックピット内環境、現地大気に同調完了。生命維持系、起動】
「生命維持?」
遥はわずかにたじろぐ。首筋が冷えるような感覚に襲われた。
生命維持装置があるということは、裏を返せば生命維持できない状況になり得るということだ。
【搭乗者の身体構造をスキャン】
壁面から格子状の青白い光が走った。遥の体を頭の先からつま先まで、ゆっくりとなぞっていく。
動かない方がよいのかもしれない、と思い、遥は息を止めてじっとする。
【形態分類、二足直立型。四肢構成、上肢2、下肢2。体表、硬組織なし、軟組織被覆】
遥は大きく息を吐いた。止めていた呼吸を再開する。
「ふぅ~。……って、ただの人間ってことじゃん」
遥のツッコミに返答はない。
遥は「自分だって人型ロボットなんだからさ」とぼやくが、そんなことに構わず淡々と声が続く。
【スーツ選定中。選定完了。標準人型を適用】
「わざわざスキャンする必要あった?」
遥の言葉は完全に無視された。
【フィッティングを実行、体格差を補正】
壁面のパネルがいくつか開き、中から白い装甲のパーツがせり出してきた。
遥が声を上げる暇もなかった。
【下肢装甲、展開。装着完了】
装甲が遥の脚を包み込んだ。革靴と学生服の上に被さるように、腰の上まで装甲が自動的に組み上げられていく。
装甲は体に吸い付くようにフィットしていた。
腰のあたりでガチャンとロックされる感触が伝わる。
「おぉ~。パイロットスーツはメカっぽいわけね」
遥は気分が高揚して思わず笑みを浮かべた。
【上肢装甲、展開。装着完了】
両腕も同様。指先から肩まで白い装甲で覆われていく。
【胴体装甲、展開。装着完了】
胸、腹、背中も同様。体が装甲で覆われる。
【頭部装甲、展開。装着完了。気密確認】
最後に頭。頭上から降りてきたヘルメットが遥の頭をすっぽりと覆う。
ヘルメットに透明な部分がないため、外が全く見えなくなるかと思われたが、ヘルメットの内側が点灯してコックピット内の映像が鮮明に映し出された。
【全装甲装着完了。耐衝撃防護、有効化】
遥は自分の体を見下ろした。全身が白い装甲に覆われている。
腕を軽く動かしてみると、違和感もなく、重さも感じない。
「軽い……。パワードスーツなのかな?」
【搭乗者の生体反応を確認。生体認証、該当情報なし】
【新規パイロットとして登録します。登録名が必要です】
「え? 名前?」
【本名である必要はありません。識別名を指定してください】
遥はヘルメットの中で唇を舐めた。
「……遥。遥で!」
【了解しました。登録名、ハルカ。登録完了】
【生体タイプを判別中】
【循環系、拍動型を検出。心拍モニタリングを有効化】
【体温調節、恒温型。体温補助は不要】
【神経系、中枢集約型。脳波モニタリングを有効化】
【バイタルリンク、接続開始、生体情報取得、成功】
【モーションリンク、接続開始】
「おわっ」
背中を押されたように何かが当たった。
【胴体制御フレーム、固定完了】
ガチン、と背中全体に何かが接続された感触があった。
姿勢が保持されているようで、背中から体を支えられている感覚がある。仰向けに倒れようとしても倒れないだろう。
「こういうタイプの操縦席か、なるほどね?」
【両腕制御フレーム、固定完了】
両腕の装甲にも何かが接続された。腕を少し動かしてみると、腕の動きに沿って何かの機構が連動しているのがわかる。
【両脚制御フレーム、固定完了】
脚も同様だ。脚を動かすと何かが連動しているのを感じる。
【動作連動補正開始。パイロットの運動特性を解析中。ハルカ、手足を自由に動かしてください】
「あ、はい」
遥はその場で強めに腕を振ってみる。拳を握ったり、ピースサインをしてみる。脚を上げて、下ろしてみる。
何か起きるわけでもなく、拍子抜けである。
遥はふと思い立ち、幼い頃から続けている空手の基本の型を一通りやってみる。
違和感なくスムーズに腕も脚も動く。
【動作連動補正完了。これより、パイロットの身体動作を当機の駆動系へ変換します】
「おっとっと」
遥は慌てて棒立ちの姿勢に戻る。
これ以上勝手に動いたら、このロボットも一緒に動いてしまうらしい。
「ふぅ。危ない危ない」
【搭乗者の知覚様式を判別中】
【視覚、有効。光受容器官を検出。可視光域を解析中、解析完了】
【知覚インターフェース、視覚モードを選定】
【拡張視界システム、起動。外部映像、全周投影開始、360度視界、展開完了】
突如、景色が変わった。
ヘルメット内の映像が切り替わり、コックピットの壁が消えた。
壁の代わりに、外の風景がぐるりと360度、遥を取り囲むように映し出されていた。
海が見えた。山が見えた。空が見えた。
「すっご~! 未来じゃん!」
足元には自分が置いてきた自転車が見える。
そして、自転車の前籠から飛び出しているスクールバッグに気が付いた。
「あちゃー。財布とスマホを置いてきちゃった」
遥は場違いな感想を漏らす。
【機体装備のAR表示を有効化。パイロットの視界に当機の四肢情報を同期】
視界の端に薄く光るホログラムが現れた。
自分の腕を見ると、腕の延長線上に、もうひとつの腕が薄く重なって表示されている。ロボットの腕だ。
右手を握ると、視界の中のロボットの右手も握られた。
「お~、こりゃあ分かりやすい!」
遥は「ぷす~」と下手な口笛を吹いた。
【知覚インターフェース、応答正常】
【動力炉、出力を戦闘級に移行開始。20……40……70……定格出力到達。安定】
足の裏から、振動が伝わってきた。今まで沈黙していた巨体が、内側から目を覚ましたような振動。
エンジン音はない。
しかし、何かがこの機械の全身で回転を始めたことが、制御フレームを通じて伝わってくる。
【兵装チェック】
【格闘戦装備、使用可能】
【近接特殊兵装、待機中。使用権限がありません】
【遠距離兵装、制限中。使用権限がありません】
【使用可能な兵装は格闘戦装備に限定されます】
「それは……つまり、素手?」
遥は首を傾げるが、答えは返ってこない。
【起動シークエンス、完了】
【戦闘行動に移行可能】
戦闘行動。その言葉を聞いて、遥はようやく自分がいま置かれた状況を正面から理解した。
「巨大ロボと言えば戦闘だとは思ってたけど、やっぱり戦うんだ……」
遥は今更ながらに「早まったかな……」と後悔の念が湧き上がる。
【対象は北方20キロメートル地点で活動中】
360度の視界の中、北の方角に赤いマーカーが点滅していた。
【パイロットの指示を待ちます】
「対象? 対象ね……。って、指示も何もあるか! まずは情報を頂戴!」
遥は叫ぶ。その声はヘルメットの中でくぐもっている。
もし遥の周囲に人が居たならば、機械に繋がれてモゴモゴと喚いている様子が、さぞ滑稽に映ったことだろう。
