第七話 シェタさん

 お客さんを幸せにすることが、家族の幸せに繋がる。

 そう話し合ってから、私はお店で食事をする人たちの表情を目で追うようになった。

 美味しそうに頬張る人、黙々と一人で食べる人、連れ合いと笑い合う人。表情は多様だ。

 一見して、不幸せな人など居ないように見える。

 大人数で笑いながら食事をしている人は楽しそうだし、一人で黙々と食べている人も食事中ぐらい一人の時間が欲しいのだろう。

 でも、誰しもが、ふとした時に辛い気持ちに苛まれることもあるんじゃないだろうか。

 お祖父ちゃんがお客さんに積極的に話しかけていたのは、表面的な様子を眺めるだけでは分からないと理解していたからじゃあないだろうか。

 お昼の書き入れ時を過ぎ、店内から人が減っていく。昼休みのお客さんが出ていくのと入れ替わりで常連客が入ってきた。

 お客さんが疎らになって余裕ができたお母さんが笑顔で出迎える。

「いらっしゃいませ、シェタさん」

 シェタさんは控えめに口角を上げて軽い会釈で応じ、窓際のテーブルに腰を下ろした。

 そこがシェタさんにとって、お決まりのいつもの席なのだ。

 お母さんはシェタさんの前にワインが注がれた陶器のコップを置く。

「ご注文はいつものもので?」

「えぇ。いつもので」

 お母さんがシェタさんのテーブルを後にすると、シェタさんは窓の外を眺めながらワインを口にした。

 シェタさんはお祖父ちゃんが若い頃から『木陰亭』を贔屓にしてくれている常連さんだ。

 お祖父ちゃんより年下とはいえ初老である。すっかり髪は白くなっているが、体は細身でありながら筋肉質であることが見て取れる。褐色の肌は、海を跨いだ異国の出身であることが窺い知れる。

「ふぅ。現場が長引いてしまいました。この歳になると身体に堪えますよ」

 シェタさんは手に持ったコップの中のワインをゆらゆらと揺らしながら、独り言のようにそう言った。声量からしてお母さんに向けて言ったのだろう。お母さんは察してシェタさんに声を掛ける。

「あらあら。無理は禁物ですよ?」

「いやはや、寄る年波には勝てませんよ」

 シェタさんはお母さんの方に顔を向けてそう言うと、自嘲気味に笑った。

 シェタさんは、また窓の外に視線を戻すとワインをちびちびと舐めるように飲んだ。

 シェタさんは人当たりがよく愛想もいい。――けれど、自分のことを深くは語らないのだ。

 やがて運ばれてきた料理を、シェタさんは黙々と口に運び始めた。

 私は厨房前のカウンター席に座ったまま、所在なさげに足をぶらぶらさせながらその様子を眺めていた。

 ――なにか違和感がある。

 ご飯を食べているシェタさんの眉間に、僅かに皺が寄っているように見えた。

 どこか体に慢性的な痛みでもあるのだろうか。慣れている痛みを我慢しているようにも見える。

 その様子にお母さんも気づいたのだろう。食器を拭く手を止めて、心配そうにシェタさんの傍へ歩み寄った。

「本当に大丈夫ですか? 顔色が優れないようですけど」

 シェタさんはお母さんの声にハッとしたように顔を上げた。慌てて目尻の皺を下げて、笑顔を取り繕う。

「いや、これは失敬。体調は問題ないのです」

 シェタさんは一度言葉を切り、再び手元の皿を見つめて頭を小さく振った。

「いやはや、お恥ずかしい。どうにも最近モヤモヤとしてまして……。何かが足りないような、どうにも座りが悪いような……。そんな気持ちが、つい顔に出てしまったようです。折角の美味しい料理をちゃんと味わえていないとは、面目ない」

 シェタさんは息を吐いて、要らぬ気遣いをさせてしまい申し訳ない、とばかりに頭を下げた。

 ――ふと、包丁の音が止んだ。

 私は厨房のお父さんの方に顔を向けると、お父さんの手が止まっていた。

 シェタさんの言葉は、お父さんの耳にも届いていたのだ。

 ほんの数秒、お父さんは顔を上げてシェタさんの様子を見ていたかと思うと、また規則正しく包丁を動かし始めた。トン、トン、トン。いつもと同じ調理の音。

 お父さんも気付いたのだ。お祖父ちゃんなら、シェタさんの話を聞くだろうって。

「ん!」

 私はカウンター席の椅子に座ったまま万歳をしてお母さんが来てくれるのを待った。

「はいはい」

 お母さんは呆れ顔で歩いてきて、私の脇の下に手を当てた。お母さんは「よっ」という掛け声と共に私を床に降ろす。

 シェタさんはその様子を微笑ましく眺めている。

 私は小走りでシェタさんの席に向かい、シェタさんの向かい側の椅子に両手をかけて、よいしょ、とよじ登った。

「お邪魔します」

「おや? 相席ですか?」

 シェタさんはそう言いながら、目尻の皺を深くして私を迎え入れてくれた。

 お母さんは、何をするつもりか、と顔で訴えかけてくるが、口出しはしてこない。お母さんもシェタさんのことが気掛かりなのかもしれない。

 私はテーブルの上に両手を置いて、シェタさんに笑顔で話しかける。

「シェタさんのモヤモヤ、一緒に考えさせてもらってもいい?」

 シェタさんは面食らったように眉を上げたが、それも束の間、すぐに背筋を伸ばす。そして、自分は如何にも紳士です、とばかりに真面目な顔を私に向かって恭しく頭を下げた。

「勿論! 素敵な淑女とお話できるのなら、いくらでも」

 シェタさんはそう言うと、紳士的な様子が一転し、好々爺然とした笑顔を見せた。