第十六話 半人前のアテロス|看板娘はかく語りき

 お昼時。工房の鑿の音が、一つ、また一つと止んでいく。

 昼飯の頃合いだ。尤も、今日は賄いがない。飯炊きの女衆が朝から身内の祝言に駆り出されて出払っているのだ。

 兄弟子の一人が工房の全員に聞こえる声を上げた。

「よしっ。久々の外食だ。どうせなら美味いもんを食いに行くぞ。俺の奢りだ!」

 若い連中がわっと沸いた。兄弟子の奢りと聞いて断る馬鹿はいない。

「よっ! 太っ腹!」

「一生付いていきますよ! あにさん!」

「馬鹿野郎。お前に付きまとわれたら兄さんが可哀想だ」

「違いない!」

 若い連中がわいわいと軽口を叩き合いながら、戸口へ流れていく。

 そんな中、兄弟子の一人が俺に声をかける。

「どうした? アテロス、お前も来いよ」

「いえ、構わず行ってください。どうにも作業のキリが悪くって……」

 嘘だ。キリなんぞ、どうとでもつく。

 だが、飯を食う暇があるなら腕を磨きたい。

 同期と比べて要領が悪い俺は、飯を食う時間すら惜しいのだ。

 頻繁に同期が妬ましい気持ちになってしまうが、別に同期の奴らは何も悪くない。順当に腕を上げて、順当に認められただけのこと。

 悪いのはいつまでも足踏みしている俺だ。だから苦しい。

「キリってお前……。あまり根を詰めるなよ?」

 兄弟子はあっさり引いた。俺が適当な理由で断ったことは兄弟子だってお見通しだろう。その上で目を瞑ってくれたのだ。

 俺は気を取り直して作業を再開する。

 戸口へ流れていく皆の声が、工房を出ていく間際まで聞こえてくる。

「休みは実家に帰るのか?」

「おう。何年も帰ってないからな。親に顔を忘れられちまったら敵わん」

「こんな醜男の顔は忘れちまった方が幸せだろうさ!」

「うるせいやい。親も同じ顔だっつーの!」

 皆がじゃれ合いながら出て行った。工房は途端に静かになる。

 自分だけが取り残されている現状が、静寂と重なった気がした。

「帰省かぁ……」

 静けさに耐えられず、俺は思わず独り言ちた。

 直に、工房は長い休みに入る。俺も帰ろうと思えば帰れるのだ。何年も敷居を跨いでいない実家へ。

 だが、どの面下げて帰れというのか。いつまでもいつまでも半人前のまま、同期には先んじられるばかりの俺。こんな体たらくでは、とてもじゃないが合わせる顔がない。

 ぐぅ~、と腹の虫が鳴った。

 自分の腹かと思ったが、どうやら腹の虫の主は別の人間らしい。

「腹が減ったなぁ」

 声のする方を見ると、親方が腹を摩りながら立っていた。

 ぽかんと親方を見上げていると、親方が悪い顔をして続ける。

「美味い食事処があるのだ。付き合ってくれ」

「え? いや、俺は」

「おや? こんな年寄りを一人にするつもりか?」

 親方はとぼけた調子でそう言うと、さっさと歩いて行ってしまう。

「年寄りって柄でもないでしょうにっ」

 俺は親方に聞こえないように小さな声で愚痴を呟きながら、慌てて親方を追いかける。

 親方の隣に並んで歩くと、親方は待っていたかのように口を開いた。

「アテロス。まだ思うところがあるのか?」

 図星だ。もどかしさを抱えていることは親方の知るところだが、俺はそれをいつまでも解消できずにいる。

 親方は俺の返事を待たずに続ける。

「まぁいいさ。美味い物を食べながら話を聞かせてくれ。相談事に打って付けの店なんだ」

 相談か。ここの所、親方はどうにも工房の皆を構いたがる。工房の職人全員が異国の偉い人の話を聞かされたんじゃないだろうか。

 とはいえ、徒弟の身の上で親方の厚意を無下にするわけにもいかない。

「はい! 喜んで!」

 俺は満面の笑みでそう言うと、こっそりと溜息を吐いた。

 俺の悩みは前に相談したってのに、親方は何をお考えなのやら……。