第七話 親方のシェタ|看板娘はかく語り

 現場が長引いて、工房に戻った時にはお昼時をとうに回っていた。商売道具を降ろして自分の席に腰を下ろすと、改めて足の疲れを実感する。

 午後の工房では、職人がそれぞれの持ち場で黙々と手を動かしている。のみを叩く音だけが小気味よく響き、心地良さすらある。

 少しの間天井を見上げて休んでいると、突如、微睡を掻き消す大声が響く。

「シェタ! いるか!」

 鑿の音が一斉に止まる。私を含め、周囲の職人が一斉に声の主に目を向けた。

 工房一の古株の男。ペイトン。私とは、若い時分に同じ石を担いだ仲である。外行きの服を着ているので、仕事の打ち合わせでもしてきたのだろう。

 周囲の職人は慣れたもので、直ぐに作業を再開する。

 ペイトンもそんな周りの反応にはお構いなしで、肩で風を切るように歩いてくる。私の前まで来ると声を落としてニヤリと笑った。

「喜べ、シェタ。次の仕事はデカいぞ」

「ほう。お前がそこまで言うとはな」

「聞いて驚け。神殿さ! 遷宮せんぐうするための神殿をうちが造るんだ!」

「神殿!?」

 思わず目を見張る。一生に一度の大仕事である。

「……そうか、神殿か」

 ペイトンは、きょとんとした顔で私を見た。それから、鼻白んだように眉を寄せる。

「おいおい、どうした? 前にデカい仕事が決まった時は踊り出してたくせによ」

「ハハハ。勘弁してくれ。あの時は私も若かったんだ」

 十年以上も昔の恥ずかしい過去を引き合いに出され、懐かしさから思わず笑ってしまった。

「じゃあなんだ? 以前のお前さんなら、今すぐにでも商売道具を引っ提げて依頼主に押しかけただろうに」

 そうだ。あの頃の私は確かにそうだった。それが今はどうしたことか。あの熱が湧いてこない。腹の底から湧き上がってくるはずの情熱が。

 ペイトンは「風邪でも引いたか?」と呟きながら、私の顔を覗き込む。暫くそうしていると、不意にペイトンの表情が険しくなった。

「……なぁ、シェタ。もう、燃え尽きちまったのか? 俺は余計なことをしちまったか?」

 ペイトンの声から勢いが抜けていた。仕事仲間としてではなく、友として、私を気遣っていることが、顔を見れば分かる。

 私はペイトンに申し訳ない気持ちになり、心配を掛けまいと努めて明るく声を出した。

「いやはや、なんとも嬉しいさ。有難く思っているとも。ただ――」

 私は、己の胸の内を探ってみる。大仕事に携われることへの悦びはある。あるのだ。昔ほどの熱がないだけで。

「――困ったことに、どうにも調子が出んのだ。ハハハ」

 私は笑ってごまかした。

 ペイトンは、私が意識的に明るく振る舞っていることを察したのだろう。普段の調子に戻して話す。

「おいおい。耄碌するには早いぜ。お互い若くはないが、隠居するほどの歳でもあるまいに」

 ペイトンは呆れたように肩をすくめ、やれやれと首を横に振った。そして続ける。

「なんにせよ、今すぐどうこうする話じゃない。本調子じゃないなら、今日はもう帰って休んどきな」

「……そうだな。そうさせてもらおう」

 私の覇気の無い返事に処置なしだと思ったのだろう。ペイトンは私の返事に肩をすくめてから、踵を返して去っていった。

 神殿の設計から携われるなら歴史に名が残るかもしれない。名誉なことだ。

 それなのに胸の内はどうにも静かだった。そのせいか腹の虫が鳴る音がよく聞こえた。

 昼を食い損ねていたのを今ごろ思い出したらしい。我ながら鈍感な体である。

「飯を食わねばなんとやら、か」

 私は工房を若い者に任せて、馴染みの食堂に向かう。

 午後の下町は毎度ながら賑やかだ。露店の通りを歩きながら、人の流れを目で追う。

 その流れの中に、ふと目を引く親子がいた。褐色の肌をした若い母親が、小さな子の手を引いている。子供は五つか六つか。母親の髪を覆う色鮮やかな布は、この街では見かけぬ、海の向こうの意匠によく似ていた。

 私は、いつしかその二人の姿を目で追い続けていた。そのことに気付いて、思わずかぶりを振った。

 

 「……全く、益体もない」

 私は誰にも聞こえない呟きを漏らし、足早に食堂へと向かった。

 腹が減るから、埒が明かないことばかり考えてしまうのだ。